わたぼうしの溜まり場

飛ばした綿毛を集めています

婚姻届提出後の手続き覚書

1ヶ月前 妻戸籍謄本の取り寄せ(郵送のため、発行料450円+定額小為替手数料200円+往復分切手200円程度※封筒の大きさによって変動)

2週間前 婚姻届の証人欄記入のため両家へ挨拶に、ついでに代理で申請してもらった夫戸籍謄本を受け取る

 

当日

7:00 時間外窓口で婚姻届提出

7:15 仮受理

8:30 区民事務所で婚姻届受理証明書の申請

※朝出したと言ったら時間がかかると言われる、もしかすると夕方になるかも〜とのこと。

9:50 区民事務所の人がうまく伝えてくれたようで、区役所から準備ができたと連絡があった

10:10 再度区民事務所へ

10:30 受理証明書受取(350円)

10:40 受理証明書を使って住民票(世帯移動)、マイナンバーカードの氏名変更手続き

マイナンバーカードのPWを入力する。再発行手続きもできる(その場合は別の身分証明書が必要かも?要確認)。

11:00 新姓と新戸籍のある住民票を受取(300円)、マイナンバーカードの記載変更完了

マイナンバーカードは再発行じゃなくて住所変更同様右下に付け加えられるだけ。書くところがなくなったら再発行で新姓のみの記載になる。旧姓併記には後述住民票の旧姓併記手続きが必要。

11:00 早めの昼ごはん

12:30 免許証の変更手続きへ警察署に行く、住民票を提出

12:45 免許証の変更完了、帰宅

 

残タスク

・銀行の名義変更

・勤務先への報告、給与振り込み口座の変更、保険証の更新

・クレジットカードの名義変更

この辺りは一緒にやらないと引き落とせなくなったりするので注意、勤務先には1ヶ月程度前に手続きを確認しておくこと

 

確認すること

・保険に入っていたら保険の名義変更、受取人の変更等

・賃貸契約の名義変更

・公共料金関係

・携帯の契約

・そのほか会員情報

 

手続きの待ち時間について

ネットなどに転がっている変更手続きスタンプラリーは基本的に時間内に窓口で出した前提で進んでいる。時間外窓口で出すと処理に時間がかかるし面倒なやり取りも増えるので出来るなら時間内に行った方がいいと思った。

全てを有給使わずに済ませるには、婚姻届受理証明書の受け取りがかなり厳しい(大体8:30〜17:00まで)。受理証明書は主に新戸籍発行前の住民票取得、勤め先への提出に必要なので、戸籍謄本で代用できるかも(要確認)。戸籍の更新に1〜2週間かかるらしいが、それを待てるならこれで行けるか?

① 婚姻届提出(時間外)

②1-2週間後 新戸籍取得(戸籍の場所によってはコンビニで取得できる、もしくは郵送か代理受取)→勤め先・保険証の更新

③住民票の移動届/世帯移動届、マイナンバーカードの記載事項変更手続き(住んでいる市町村の出張所等、18時まで?)

④新本籍、氏名の記載がある住民票を持って会社の昼休み等に近くの警察署へ。免許証の氏名変更手続き(16:30まで)

⑤パスポートの再発行申請(19時まで?)

⑥パスポート受取り(19時まで?)

 

旧姓併記について

免許証だけ旧姓併記したかったが、免許証の旧姓併記には旧姓併記された住民票が必要→住民票の旧姓併記手続きには旧戸籍と新戸籍が必要なので、しばらく経たないと出来ないらしい。住民票に併記するってことはマイナンバーもほぼ必然的に変わるってことかも。
現時点では免許証は後から旧姓をつけることができるらしいけど、正直再発行じゃなくて変更記述欄に暫く書かれるから免許証の期限が切れるまではあまり旧姓併記と氏名変更の違いはなさそう。

あとは結婚前に取った資格証明とかに使えるかも?国家資格とか取ってると大変そう。基本官公庁絡みでは割と対応していて、銀行によっては併記してあれば旧姓名義の口座を開けるらしい。

 

パスポートについて

再発行になるので高額。今のところ使用する予定がないので手続きせず。ちなみに新戸籍が必要なので婚姻届提出後暫くかかる(1〜2週間?)

 

世帯について

同一世帯の必要があるかは住んでる市区町村によるが、基本的に同一にするよう勧められる。同一世帯なら本人以外でも住民票を取れると言うメリットあり。職場によっては世帯主だけが受け取れる補助があったりするので要確認。

 

本籍地について

諸事情で私の本籍は頼りにできる親族がいない遠方地にあった。郵送での申請は時間がかかるだけでなく、往復の郵送費と小為替の手数料がかかる。しかも定額小為替は郵便局で平日昼間しか発行できない。

自分で取りに行きやすい場所もしくは代理で受け取りに行ってくれる人がいる場所にするか、コンビニで発行できる市区町村を選ぶのがおすすめ。ネットで調べられる。ただし、コンビニで取るには5日ほどかかるらしい。

分かりづらいけどこのページ(https://www.lg-waps.go.jp/01-06.html)をよく読めば大丈夫なはず。

ちなみに本籍の場所は変更できるが、死亡後に生まれてから死ぬまで全ての履歴を入手する必要があるらしく、さらに新しい戸籍には1つ前の場所しか記載していないらしい。引っ越すたびに変えると死亡後の手続きが大変らしいが、旦那になった人に話したら「やるのは自分じゃないから気にしなくてよくない?」と言われた。遺族に迷惑をかけたくない小心者は気にしている。

プロポーズレビュー


【日程】★★☆☆☆

諸事情で結婚することが先に決まっていたが、プロポーズのイベントだけはしてほしいと前々から伝えていたにもかかわらず遅すぎた。

入籍日までにある記念日らしきポイントは全て通り過ぎていたので、とても不安になった。

記念日や誕生日などにしてほしいとは思っていなかったが、リミットが迫ると不安になるので余裕を持ってほしい。

 

・これから決行する人へのアドバイス

いつか結婚を考えているのであれば、今のうちにおおよそのリミットを探っておいた方がいい。そうでなくとも、ある程度長く一緒にいたいのであれば、相手にとって結婚が必須なのかくらいは把握しておく方がいい。リミットを迎えて結婚するつもりがあったのにいきなり振られる悲劇は避けてほしい。

 

【プラン】★★★★☆

事前に泊まりであることを言ってくれたのは良かった。あとで聞いたら天気も調べてくれたらしい。細かな気配りだがポイントが高い。

私の到着前にチェックインして部屋にプレゼントを準備しておいてくれたこともスムーズで良かった。

夕飯について前日に聞いたところ行きたいところを決めておいて、と言われた。高い飯や予約をしろとは言わないが、せめて一緒に調べてほしい。

 

・これから決行する人へのアドバイス

完璧なプランを立てる必要はないが、調べて解決できることは解決しておいてほしい。

自分のことを考えて建ててくれたプランは、全て嬉しいものである。行き当たりばったりだけは避けるべき。

 

【場所】★★★★★

事前に伝えておいた、「人に注目されるのは嫌だ」「駐車場などはやめてほしい」という条件を満たしていた。他は特にこだわりがなかったので無難にとても良かったと思う。

 

【プレゼント】★★★☆☆

私をイメージした花束と、事前に伝えておいた「一生使える、フォーマルなネックレス」をいただいた。大変気に入っている。

部屋に入って荷物を置く前に花束を渡されたのでどう受け取れば良いかあわててしまった。一旦「夜景を見よう」などと言って荷物を置き、一呼吸置くよう促してくれれば最適だったかもしれない。

また、一度プロポーズしようとしてネックレスを忘れ失敗したそう(そのネックレスは誕生日プレゼントとしてもらった)が、そちらは可愛いが一生着けられるようなデザインではなかった。ググればプロポーズに適したデザインが分かるので、それぐらいは調べて欲しい。誕生日プレゼントとしては最高に嬉しかったが、きっちり調べていればたとえ失敗しても次回のタイミングのためにプロポーズ用として取っておくだろう。

 

・これから決行する人へのアドバイス

人によってほしいものが違うので、探りを入れるか、探りを入れる自信がなければ後日渡すべし。箱パカの演出がしたければ、ダイヤのみで後日リングにする、箱入りプリザーブドフラワーなど選択肢はある。ググるべし。

 

【セリフ】★★★★☆

はっきりと「結婚したい」という意思がわかる言葉でよかった。照れたのか少し茶化した口調だったのが少しだけ残念。

 

・これから決行する人へのアドバイス

捻りはいらないのではっきり「結婚したい」と伝わるよう言って欲しい。

 

【総合】★★★★★

プロポーズイベントのスチルを無事回収できて良かった。どんな形であれ、自分のことを考えて計画を建ててくれたことに感謝している。

完璧でなくとも、世間一般の普通と違っても、自分のことを考えて用意してくれたものが一番嬉しい。それだけで満点。

引きこもりが運動したら運動できなくなった話

事の発端は私が卒業式のために運動を始めたに過ぎない。

 

先日、少し腹の周りに肉がついた気がするな、顔のむくみが強いな、と思い久しぶりに体重計に乗ってみた。

すると、一時期ピークから-5kgを達成していた体重が+2kgくらいをマークしていた。

これはいけない。

 

私は卒業式の日にきちんとした記念写真を撮る予定である。

というのも、成人式の時私は過去最高体重をマークしており、ぷくぷくの顔で撮られた写真に満足していなかったからだ。

着物は腹や太もも、ケツをカバーしてくれるものの、顔のパンパンさ加減は全くもってカバーしてくれない。

 

そういうわけで、買ってしばらくしてから仕舞われていたリングフィットを再開し、その勢いで購入したフィットボクシングを始めた。

リングフィットは敵が強くなりだしてキツくなってきたところだったのであまり楽しめないのだが、毎回やり切りスタイルのフィットボクシングは楽しめていた。

 

そこでフィットボクシングを1週間ほど進めると、初めはパンチ動作のみだったのがパンチを避ける全身動作が追加された。

これがなかなか辛く、次の日には太ももとお尻のあたりが筋肉痛になっていた。

太ももとお尻の脂肪を落としたいと思っていた私はこのことが大変嬉しく、筋肉痛だというのに次の日も前日と同様のコースを行った。これがいけなかった。

 

その次の日。私は猛烈な筋肉痛に襲われていた。なんなら腰も痛い気がする。半日経ったところで私は気がついた。

これは、太ももや尻の筋肉痛ではなく、腰痛である。

3年ほど前に少し腰を痛くしてからというもの、私は腰痛に悩まされていた。と言っても、重いものを持つときに少し怖いなと思う程度である。

だが今回のものは、寝返り、靴下を履く、ズボンを履く、風呂で足を洗う、等々日常全ての動作が辛く、とてもじゃないが耐えられない痛み(というか鬱陶しさ)である。

2日ほど耐えたのだが、流石に耐えきれなくなり今日整形外科に行ってきた。

 

お医者様が言うには、骨に異常はなく、筋肉からくる痛みで、しばらくすると徐々に良くなるとのことだ。大変な事態でなくてよかった。

しかし痛みがある間はストレッチ・激しい運動は控えて安静に過ごせとのこと。

 

結局卒業式を前にして私は運動はおろかストレッチまで出来なくなってしまった。

無念。

 

しばらくは食事制限と水分摂取をするしかないなあとペットボトルの水を眺める。

次に運動を始めるときは、絶対無理をしないと誓った。

成長してみたら父はかなり優秀だった

生まれてこのかた、私は父より頭の良い人間に出会ったことがない。

もちろん、世の中にはノーベル賞受賞者や天才と呼ばれる研究者もいるし、もっともっと頭の良い人間がいるのだと知っている。

ただ、実際に出会った人間という限定をつけて話すならば、私にとっての一番優秀な人は父である。

 

親が頭の良い人間であるということは、良いことのように聞こえるかもしれない。

確かに、父が頭を使って稼いだお金で私はお金の心配をする事なく進学できているし、受験レベルの問題まで身近な人間に教えを乞うことができた。

父と会話することで身に付けた知識も多く、それらは何だかんだと役に立っていると言える。

 

しかしながら、親が優秀であることは良いことばかりではない。

まず前提として、ある程度周りから突出して優秀な人間というのは、周りの人間を無自覚に傷つけてしまうことがあると知っておいて欲しい。

彼らは自分がそれなりに頭の良い人間であるということを知っている。その上で、頭が良い故に大学に入ってからや社会に出てから「本物の天才」とも言うべき人物に出会っており、上には上がいるという考えを持っていることが多い。

本当に優秀な人たちは、一握りの天才を除いて、皆謙虚である。

自慢することなく当たり前のように問題を解き、当たり前のように頭を使って生きている。

 

子どもが皆そうであるように、私もある程度成長するまで自分の育った環境が全てであり、個人差のあるものだということを認識していなかった。

しかも、「父はどうやら飛び抜けて頭が良いらしい」ということに気付くまでに私はそこそこの時間を要した。周りの大人は学歴の話をしなかったし(多分子どもに余計なプレッシャーを与えたくなかったのだろう)、周りの友人の親がどういう人であるかなんて聞く機会もなかった。幼い子どもからしたら大人は全員自分より知識があるわけで、その大人の中でどれくらい優秀であるかなんて推測しようがないのだ。

気付き始めたのは高校生になってからで、それがどうやら特殊であるという実感を持ったのは最近のことである。

 

そういうわけで私は、かなり大きくなるまで大人は皆父のように賢いのだと思っていた。

父は賢く、善良な人であるので、私に向かって「こんなことも分からないのか」と威張ったり「出来の悪いやつだ」と罵ったりするような馬鹿なことはしない。

ただ、当たり前のように問題を解き、当たり前のように頭を使って生きている。

父の当たり前が当たり前にできないことに悩み、もっと頑張らなくては大人になれないと漠然と思っていた。

今でも、おそらく自分と同じレベルの人に比べて頭の良さを低く見積もっていると感じる。そうしたある種の劣等感は、少なからず私に影響を与えており、漠然とした自信のなさに繋がっている気がする。

そしてこの劣等感が、父には一生敵わないのだという呪縛に私を縛り付ける。

そんなはずはないのだけど、父に敵わなければ所詮その程度の人間なのだとどこか彼方にいる神様に嘲笑われているような、そんな感覚が私の中には存在している。

 

 

私がもし子どもを持つ時が来たら、子どもにも同じ経験をさせるのだろうか。

先日ふとそう思った。

自分の頭の良さは自分ではよく分からないが、学歴や偏差値と言ったありきたりなもので測るのならば私もまた一般よりも秀でた位置にいるのだろう(もちろん頭の良さは学力的なものだけでは測れないと考えているので、実際私が頭がいい人間なのかは定かではないが)。

親になってようやく自らの親の気持ちを理解するというのはよくある話だ。

 

父は何を思って私を育てていたのだろう。

聞いてみても「やっぱり父の考えていることは理解できなかった」と諦めと安堵を味わう気がしている。

直接聞くのはまだ少し怖いが、いつか来るその瞬間に思いを馳せている。

図書館司書と専門性

 はじめに

この記事は、klis Advent Calenderに寄稿しています。アドベントカレンダーなのにだいぶ遅刻してしまいました。申し訳ありません。

 

 アドベントカレンダーということで軽く自己紹介をすると、仏語学を専攻しながら司書の資格を取りたくて春日に通っている人です。

そういうわけでklisのアドカレに「図書館司書と専門性」というタイトルでお邪魔させていただいております。klisの人じゃなくて本当に場違い感が漂っていますが、最近春日エリアにいる方が多いから名誉学類生ってことで許してほしい。
そして内容についてもあくまでも学生が適当に書いてると思って見て欲しい。

それでは本題に参りましょう。

 

そもそもなぜ図書館司書を志望しているのにほかの学類に入ったのか

まずは一番よく聞かれる質問からはじめたいと思います。

少し昔に遡って自分のことを話すと、私は高校2年生に上がる時に文理の選択で迷っていました。理系科目が苦手なわけではなかったし、むしろ社会科の科目に苦手意識を持っていたにも関わらず理系分野の研究にはまるで興味を持てなかったからです。そこで社会人としてお金を稼ぐのに自分の得意を活かせそうな仕事、やりたい仕事として司書という職業を見つけました。

高校生の私は、ぼんやりと図書館で働きたいとしか考えていなかったのですが、「図書館司書」「司書教諭」という資格があることまで調べ、大学で単位を取ることもしくは講座を受講して終了証明をもらうことが必要であるとわかりました。

 

そこで私は、とりあえず父に相談をしてみました(父は頭がいいのです)。

私「図書館で働きたい(超ざっくり)と思ってるんだけどどうかな?」

すると父からは次のようなアドバイスを受けました。

父「書籍の電子化は必ず進むと思う。図書館の業務も機械化が進んで、職が消えないまでも需要が増えるような職業ではない。そう考えた時に、自分の専門とする学問を持っていてその専門分野の本が案内できるような司書になった方がニーズはあると思うよ。」

父「図書館司書になりたい人は文系が多いから、理系分野の専門を持っていたらより有利になれると思うよ。」

 

高校生の私はなるほど、と思いました。そこから考えた結果、理系分野の方がまあ有利には違いないとは思いましたがやっぱり大学4年間勉強し続けられるとは思えず、結局文系に進むことになります。そして志望校に選んだのが「他の学類の授業を自由に取ることができて、図書館を専門にしている学類がある国立大学」であるところの筑波大学だったわけです(本当はもう少し紆余曲折ありましたがそこは省きます)。

 

結論的には父が言っていたように司書の雇用問題は未だ解決の糸口が見えず、雇用人数も減っているので就職自体の難易度も高めでかつ給料もよくないと言う二重苦状態が続いています。

それでは、知識情報・図書館学類で図書館情報学を専攻することは司書として働く上で意味がないことなのでしょうか。
そんなはずはありません。

 

職と専門性

図書館司書は専門職であると聞くことがあります。
この場合の専門職ってどういうことでしょう。

 

医者が専門職であることを疑う人は少なそうです。彼らは大学で学んで医師免許を取得し、高度な専門知識を持っています。弁護士や建築士、看護師さんなんかも該当するでしょう。

では、鳶職の方々はどうでしょう。職人さんと呼ばれる人々は、専門職と呼んでいいような気がします。が、なぜかお医者さんよりは専門職と言う言葉に対する許容度が低い気がします。

 

Wikipediaさんによると、専門職とは「専門性を必要とする職のことである。現代の日本においては、国家資格を必要とする職業を指すことが多いが、近年では高度な専門知識が必要となる仕事については、国家資格を不要とする仕事でも専門職と呼称することも多い。」(1)とされています。

Wikiさんの信用度については一旦置いておいて、それらしいことが書かれています。

つまり医者は国家資格を必要とする職業、職人は高度な専門知識を必要とする職業であるので専門職と呼ばれると考えられます。

 

国家資格を必要とする職業については、試験を受け、合格することでその知識を持っていることを証明しています。
一方で高度な専門知識を必要とするが資格がない場合、大抵は職歴の長さが証明となるような気がします。

 

実際には、専門職と呼ばれる職業は、大抵が資格(知識)と職歴(経験)の2つの面を併せ持っているでしょう。

医者といえど新人を専門家と呼ぶのはなんだか気が引けますし、専門書を読み漁っただけの人は職人とは呼べませんからね。

 

図書館司書と専門性

では図書館司書はどうでしょう。

図書館司書は資格があります。国家試験のようなものはありませんが、法で定められた基準をもって正式な資格とされています。

また、職歴も重要でしょう。レファレンスの勉強をしたからと言って実践でいきなり使えるとは到底思えませんし、大抵の職に言えることですがやってみなければ分からないことはたくさんあります。

 

司書が医師や弁護士などと違うことは、法で定められてはいるものの図書館への必置が義務付けられているわけではなく、資格を持たない人が働いているケースが少なくないことです。

また、職歴とスキルがあっても事務として採用されているため給料が上がらなかったり、図書館での地位・社会的地位が高い職業ではないことも挙げられます。

 

理想を言えば、図書館司書という資格をもっと厳格な国家資格にしてほしいし、医師や弁護士と同レベルの専門職にしたいし、その認識を広めたいです。

図書館情報学を学んだ人が司書として成功する世の中であるべきだと思います。

 

同様に、専門を学んだ上で図書館司書として働き、双方である一定の結果を出している人も認められるべきだと思うし、磨いていくスキルや働く場所によって双方の人材が求められていると思います。

(例えば大学図書館にはその大学の専門分野を扱える司書がいたら良いと思うし、市立図書館レベルだったら蔵書構成やレファレンスについてしっかり学んだ司書がいたらいいと思うってことですね。学校図書館には教育学を学んで司書の資格も持っているような人がいたら最高だと思うし、国立国会図書館にはそれぞれの専門で修士を出てかつ図書館についても学んでいるような高度な人材がいたらいいと思っています。)

 

しかし、現実は司書資格の有用性はあまり感じられないし、司書になっても食べていくのが厳しい人も多いです。

 

大学で専攻したからできること、ほかの専門を持っているからできること

私は、「大学で専攻する」と言うことははいくら他の分野の人が勉強し知識を得ていても違った意味があると思っています。

履歴書を書くときにも、学士の文言も、何をするにも付いて回るのが大学での専門です。一度は覚悟を持って向き合う時があると思うし、向き合ったと言う証拠が残ります。

klisの方々は、たとえ図書館に関連した研究をしなくても、卒業すれば図書館情報学を学んでいた証拠が残りますし逆に言えば他の勉強をしたことは書類として残るわけではないでしょう。
私のように他の学類から司書資格を取った人は、もちろん司書資格を取得したことは残りますが、本気で学んでいたかどうかは書類には残りません。

 

さらに希少価値で言えば、「理系学問を専攻していて図書館司書になった人」と「図書館情報学を専攻していて司書になった人」はそれほど変わらないような気がします。
それどころか現状日本では「文系の学問を専攻していて図書館司書になった人」が一番多いような気がします。

私は希少価値を求めてきたつもりが、一番凡庸な人材になってしまいました。なんとなく途中から分かっていたけど。

それでも、大学で仏語学を学んできたからできることもあると思っていますし、あと1年はしっかり仏語学に向き合って卒業するつもりです。

 

 

世の中には「ひとつのことを極める事が得意な人」と「複数を同時に勉強する事が得意な人」がいると思います。

私は、ひとつのことを極めるのは苦手です。

でも、ふたつ、みっつと多くのことを「それなり」で良いから学んでいければそれは他の人とは違うオリジナルな強みに出来ると思っています。

 

幸いなことに、理想とはかけ離れた現状のおかげで私はいろいろなことを学びながら、自分が得意な方法で図書館司書を目指す事が出来るというわけであります。

なんだかまとまらない文章になってしまったけど、図書館司書と専門性って今は専門性だけを求めていくにはリスクが高いなと思います。
それだけに、klisでしっかり図書館の研究して図書館で働く事になったみんなを尊敬しているし、頑張って欲しいと思います。

 

終わりに

終わりに、いつか近い将来図書館司書の地位が上がって、給料も上がって、胸を張って専門職と言える日が来ることを祈って。

 またね。

 


“専門職”. Wikipedia. 2019-10-26. https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%82%E9%96%80%E8%81%B7, (参照 2019-12-23).

フランス留学記、最終章 辛さ編

こんにちは。

お久しぶりです。

フランスから帰国してしばらく時間が経ち、だんだんと向き合えることが増えてきました。フランスにいた期間に溜めて書いていたけれど、向き合う余裕がなかった記事を出してみようかなと思うようになってきました。

それから、知人に何人かブログ楽しみにしてたのに、もう更新してないの?と聞かれることがありました。ありがとうございます。

そこで、留学に行こうと考えている人、留学に行った人、留学に行っている人が誰しも考えることについて、書き残して置こうと思います。

 

留学中辛かったことについて。

 

 

そういえば書いた事はなかったかもしれないですが、留学に来る前、筆者のフランス語能力は実用性というものが全くありませんでした。

辞書を使えば、大抵の文章を読み書きする事はできましたが、語彙力はない。

文法は一通り終えているものの、実際にフランス語で会話した事はほとんどない。

そんな感じです。

 

当然不便です。

でもぶっちゃけ不便ということが自体はそれほど問題ではありませんでした。

留学生が行かなくてはいけないところはだいたい皆留学生だとわかって対応してくれます。街の人は皆親切だし、不便でも多少の事は乗り越えていけます。話せなくても、生きていけるものです。(当然といえば当然ですが)

 

問題は不便さではなく、「伝わらない」ということへのストレスでした。

筆者は結構考え事をする方です。議論をするという行為が結構好きです。

しかし、それはフランス語でするには少しハードルが高い行為です。自分の頭の中で考えていることをそのまま言語化することができないのは当然ですが、それを踏まえて言いたいことを言えるほどの語彙力がフランス語にあるはずがありませんでした。

買い物にも苦労するくらいですから。

 

議論ができないことで、毎日がとてもつまらなく感じて行くようになりました。

あの時計、すごい場所にあるけどどうやってあそこまで持って行ったんだろう。疑問を抱いても、話す相手がいない。伝え方がわからない。

答えを探しているのではなくて、ああだろうこうだろうと言い合いをするのが好きなのです。不幸にも、そんなことを好んでする人はあまりいないですし、フランス語で自分の意見を言ったところで「そうじゃない」という伝わり方をすることが多く、それが自分にとっては大きなストレスになっていました。

 

 

それからもう一つ。周りとの差。

筆者と同じプログラムで留学しているのは全部で4人。加えて、語学学校にはフランス語を学ぶ人が通っています。気にしないようにしても、自分が同じところで足踏みをしているのに、周りが進んでいくのは辛いものです。

 

筆者は体力がありません。加えて、行動をすることが苦手です。

数日に1回は部屋で昼寝をしていますし、何をするにも人より疲れやすい性質だと思っています。

ご飯を食べる。水を飲む。

それを辞めたら死ぬ、という事にも疲労を感じてしまいます。

 

留学期間中というのは、外に出てアクティビティをこなすことを求められます。

情報収集して、現地の人と交流して、連絡先を交換したらやり取りをしたり、また会おうって予定を立てたり。

同期には毎日のようにこれらをこなしている人もいましたが、筆者には到底できませんでした。しかし、語学力の上達には「話すこと」が不可欠です。

話すことが不可欠なのに、部屋で休まないと動けない。

話すことが不可欠なのに、連絡を返すのが辛い。

そうして自分が休んでいる間にも外で頑張っている同期のことを考えると、情けなさとそうしたいのにできない苦しさで泣きながら眠ることもありました。

 

 

留学から帰ってきて思うのは、この辛かった時期は留学中ずっと続くわけではないということです。

もちろん、辛いことが全くなくなったわけではありませんでした。大学の授業に出るようになってからは、授業について行くのに苦労しました。留学した人が「友達いっぱいできた〜」と言うような、インスタで今でも連絡を取り合ってる様子が伺えるような、そういう友達は結局できませんでした。

しかし、毎日悩んで毎日苦しいと感じる日々は、最初の3ヶ月ほどがピークで、そこから徐々に言葉にも慣れ、生活にも慣れて行きました。フランスでの努力のおかげで、日本に帰って来てから、フランス人の友達を作ることもできました。

 

今留学先で苦しんでいる人へ。

楽しい瞬間は、留学から帰ってもずっと心に残ります。反対に、苦しかった時期の記憶は、どんどん薄れます。

今苦しんでいる人は、何かに残しておいてください。いつかこんなことを考えていたんだと懐かしめる日がきっと来ます。

辛い日々には、無理せず、たまには友達に電話でもしてみましょう。

 

これから留学に向かう人へ。

脅すような記事を先に読んでしまった不幸なみなさん。これは一個人の感想です。

これだけは誤解して欲しくないのですが、筆者は留学に行ったことを後悔したことは一度もないし、経験したこと、出会った人、全て留学に行ってよかったと思っています。

留学に夢を持ちすぎることなく、目標と計画を胸に、生きて帰って来てください。

 

追記:

この記事を出すにあたり、もしかしたら先生や留学を勧めてくださった先輩方の目に触れ、もしかしたら不快に感じたり、もしかしたら留学した学生として良くない報告かもしれないという不安がありました。

ここで強調しておきます。

フランスで学んだことは、確かに糧となり今の自分を作っています。フランスに行ってよかった。

発音のはなし

こんにちは。

 

毎回ふざけていると偉い人に見つかった時に怒られそうなので、真面目な話を書きたいと思います。

真面目な話が苦手な方はばってんでツイッターに戻りましょう。

 

さて、人文学類にある仏語学コース(言語色々詰め合わせコースに合併予定)の必修科目には、「仏語音声学・音韻論」と言う授業があります。

担当の先生が変わったので今も同じ授業をしているかどうかは不明なのですが、概要としては「フランス語の発音記号を書けるようになろう!」「フランス語の発音を学ぼう!」と言う授業でした。(ここで詳しく書くと何人かの読者がアレルギー反応を示してしまう恐れがあるのでやめておきます)

私の時は春学期は発音記号と発音の一対一関係で学び、フランス語の綴りと発音の基礎を習いました。

秋学期は、これを応用して『Le Petit Prince(邦題:星の王子さま)』の第一章を丸ごと1学期かけて発音記号に直し、発音し、期末はその中から一部を引っ張ってきて全て発音記号に直すと言うもの。

つまりは音→発音記号→綴り字、綴り字→発音記号→音の両方向の変換ができるようにしようねってことだと思います。

 

なかなかどうして文で書けば単純でそれがどうしたって感じですが、フランス語と言う慣れない言語を読めるようにすると言うのはとても役に立つ知識です。

英語の場合を想像してください。

未知の単語に出会ったとします。

とりあえず発音してみて、と言われたら多くの人がそれなりの確率で正しく発音することができるんじゃないでしょうか。まあ日本の英語教育ではフォニックスあまりやらないので(賛否は置いておいて)読めなくても仕方ありませんが

なぜか?

  1. 経験
  2. ローマ字読み

きっとこの二つを使っているのでしょう。(筆者は言語学徒ですが特に言語教育、英語教育について詳しいわけではないので全くの推論です。違ったら教えてね。)

 

これがフランス語の場合、英語に引っ張られて発音すると全く異なる発音になってしまいます。

つまり、経験も足りなければローマ字読みも当てにならないと言うわけです。

 

言語を学んでいれば、必ず知らない単語に遭遇します。

それは文章の中でも、会話の中でもそうです。

まず文章を読んでいて出会った知らない単語を、例えば先生に質問しようと思った時。「綴り字から発音を推測する」ことができればかなりスムーズです。また、会話の中で出会って前後の文脈から推測した単語をあとで綴りに直すことができる、と言うのもかなりのアドバンテージになります。

 

もちろん、「正しい発音」を知っているのも大きなアドバンテージです。

もちろん、会話の中で発音を気にしている余裕はないのですし、発音にこだわりすぎて会話を続けられないのも困ります。しかし、発音が正しくなければ伝わらないものもありますし、流暢に話せるようになるには必須の条件でもあります。

 

そういうわけでフランスに来てから、音声学・音韻論の授業がとても役に立っているなあと実感しています。もちろん他の授業も役に立っていないわけではなく、ああこれ授業でやったなあみたいに思うことがたくさんあります。

 

外国語を学んでるけれど言語学をやっているわけではないという皆さんにも、音声学・音韻論の授業はぜひ一度のぞいてみることをお勧めします。(現用されている言語、またはその言語をコミュニケーションツールとして使用する意思のある方に限る)

何より、みんなであーとかいーとか発音する授業、めちゃくちゃ楽しいのでぜひ。

なんだかステマみたいになってしまいましたが、もちろん学んだからと言って全て正しく発音できるわけではなく、結局は練習・実践あるのみです。れんしゅう……しなければ……